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編集長さくまより、

​こんにちわ。

福原充則さんとさくまの対談はいかがでしたか?

喜んでくださいませ。はやくも第2回をお届けします。

今回は、ままごとの柴幸男さんをお招きして、

我が編集部のヒラ部員である江本純子を駆り出しての対談です。

柴さんは、3年前より小豆島で作品を作られており、昨年は代表作である『わが星』の小豆島公演を成功させました。

そして今年の瀬戸内芸術祭会期中も、ままごとの作品を小豆島で見ることができます。

“ 小豆島の先輩 ”に、江本が挑みます!

それでは、はじめりはじめり〜。

えもと 私今日、柴くんとまともに話すの初めてですね。

 

しば  初めてですよね。あの、北九州で『テトラポット』見てくださって、挨拶したくらいですかね。

 

えもと その前に、いわきで会ったの覚えてない?前田さん(五反田団、前田司郎さん)のね、

 

しば  え?・・あ!!覚えてます。覚えてます。温泉?

 

えもと そう温泉入ってたよ。

 

しば  温泉で会いました会いました!あれ?なんで僕、温泉にいたんですか?

 

えもと あれが初めてなの。

 

しば  忘れてました。

 

えもと 忘れてた?

 

しば  なんで僕、前田さんと温泉入ってたんだろう。

 

えもと 前田さんが、高校生と『3000年前のダンゴムシ』って芝居を作っていて、それを私は安藤玉恵さんと見に行って、そしたら柴くんも見に来てたの。でね、その夜に私たちは先生たちと飲んでたんだけど、柴くんはその日のうちに常磐線で帰るって言ってて、でも柴くんをみんなが温泉入っていけって引き止めて、それで前田さんと温泉入ってたよ。

 

しば  そうでしたそうでした!すっかり忘れてました。

 

えもと それで今日は、ほぼ1からのお話って言う、照れくさいなって思って。

 

しば  はい(笑)。よろしくお願いします。

 

えもと そもそもさ、柴くんって、私の作品見たことあるんですかっていう・・

 

しば  あの、ないです・・

 

えもと もう〜ほらほら!

 

しば  そうです。僕、実はなくてですね。なんかないんですよね。

 

えもと なんかないっていうのは、なんだろうね?作るものとかが離れてるっていう感覚?要するに興味がないって言うか?(笑)

 

しば  いや、興味ないって・・まぁそうかも知れないですね(笑)。僕、貧乏臭いやつの方が好きだから。(笑)

 

えもと それは、どういうところで興味がなくて見なかったの?

 

しば  んー。何でしょうね。僕でも、大学生の時に、ユリイカで三浦さん達との対談※を読んでたんですよ。

 

   (註:ユリイカ2005年7月号「この小劇場を観よ!」に掲載されたポツドールの三浦大輔さん、シベリア少女鉄道の土屋亮一さん、劇団、本谷有希子の本谷有希子さん、毛皮族の江本純子の対談)

 

えもと うんうん、はいはい。

 

しば  僕は、あの中だと土屋亮一さんのシベリア少女鉄道をよく見ていて

 

えもと 三浦さんと本谷さんは?

 

しば  実は、三浦さんも見てないです。稽古場を1回見学させて貰ったことはあるんですけど。本谷さんは1回、見ました。

 

えもと そのさ、4人の中で土屋さんが秀でてるものって、やっぱり台本の構造が優れてるっていう・・?

 

しば  そんなことないですよ!王子でやってたし・・。ちょっとでも世代が違う感が僕には結構あってですね。自分たちの同世代の演劇は見に行ってた記憶はあるんですけど。あんまり上の世代を見に行くということがなかったんです。

 

えもと なんか、分かる部分として、私も一時期、自分より下の世代の劇を、積極的に行くってことがあんまりなかったのね。興味はあるんだけど、新しい世代の作ってるものってそれは私たちがやってこなかった方法で新しいものを作っているから、そこに触れる時に、異文化に対する恐怖みたいなのがあって、そういうところですごく閉じてたっていう自覚がある。

 

しば  あぁ。

 

えもと 今はだんだん見にいくようになったんだけど。でもそれとも、ちょっと違う訳じゃない?上の世代に対しての感覚って。

 

しば  劇場かもしれないですね。スズナリでやってたり、駅前劇場でやってるものに興味がなかった。(笑)

 

えもと 興味がなかった。(笑)

 

しば  でも、江本さんの見に行きたいなと思ったことは何回かありまして。リトルモア地下でやっていた、軽演劇のシリーズは面白そうだなと思った記憶が、でも行ってないんですけど(笑)。興味がありましたね、すごく。あと、前田さんと一緒にやられてた『セクシードライバー』とか、『四つ子の宇宙』とか、あの辺のちょっと貧乏臭い感じのものと絡んでたりとか、場所がそういうところじゃないと、僕が興味持てないという・・・

 

えもと なんだろう・・貧乏臭いの逆はなんなの?

 

しば  なんかこう、派手というか・・

 

えもと あーエンターテインメントとかそういうこと?

 

しば  そうですね。勝手に舞台写真とかから想像するような、ショー的なものは、逆に怖かったんじゃないですかね、見に行くのが。・・そうだと思います。

 

えもと なるほどね。

 

しば  でも、インタビューで、椅子をすごい買ってるみたいな。

 

えもと あーそうそうそうそう!

 

しば  あと、セゾンのviewpointで読んだのですが、日本をいろいろ回ってるっていうのはすごい良いなと思いましたね。

 

えもと 私はね、日本を旅してる時に、行く先々で柴くんの名前に出会うのよ。名古屋とかさ、大スター?!

 

しば  大スターではないですけど。地元なんでね、あっちの方は、はい。

 

えもと あと今回行く、小豆島でもやっぱり神扱いというか、

 

しば (笑)誰から話を聞いたんですか!

 

えもと ごめん。神っていうのは、ちょっと盛りましたけど。地元の人がさ、“ 『わが星』見た。面白かった ”って言って喜んでたの。その人がその劇によって、動いたもの?そのとき楽しかったことが、その人の生活にちゃんと影響していているんだなってわかった。

 

しば  それはすごい嬉しいですね。

えもと なんでそもそも小豆島だったの?

 

しば  小豆島は依頼があってそれで始めたってことしか本当はないんですよ。なんなら断ろうと思っていたくらいで、スケジュール的に厳しい時期に、ぎりぎりになって頼まれたので。僕たちがやった、前の瀬戸内国際芸術祭の時にいろいろやっていた、大阪でデザインと編集をやってる方々がいて、その人たちが色んなアーティストを、坂手港に呼んでいて、その1つとして僕らも呼ばれたんです。それで島に行っていろいろ案内してもらったら、断りずらくなってしまって。お金も全然無かったし、でもやってみようかってやったんです。

 

えもと やってみようと突破になったものって何かあったの?私たちもいろいろ場所探してるんだけど、ここじゃなくて良いっていう場所はいくらでもあるじゃない?私たちはとにかく気に入って、そこで気持ちが動くんだったらそこでやってしまえっていう、無謀な形でのチャレンジなんだけど。

 

しば  ちょっと前から、東京じゃない場所でいろいろ出来ないかなと思って、地元帰ってみたり、別の場所でやったりということをやってはいたんですよね。その中で、小豆島は1番何にも無いというか、劇場も無いし、若い人自体もそんなに居ないし、何がどうなるか分からない場所だった。特に坂手は土庄とか草壁に比べたら田舎だったので、ここまで田舎だったら逆に面白いかなって。滅多にこういうことも出来なさそうだから、じゃあやってみようかなって思ったのが最初ですね。やっぱり、なんだかんだ地方に行ってるとは言っても、結局は劇場があって、呼んでくれる人がいて、という受け入れる体勢があってやっていただけだったので。

 

えもと 最初から継続しようと思ってたの?

 

しば  いや、思ってなかったです。

 

えもと そうなんだぁ。

 

しば  ただ、最初僕らが行った年から、瀬戸内国際芸術祭って春夏秋だったんですね、それで、春だけで結果出せって言われたらしんどいなと思ったんですよ。

 

えもと 結果だせっていう様な、そんな・・?(笑)

 

しば  そんなんじゃ無いんですけど、結果出せって思われたらやだなと思って。知り合いもいない、お金もない中で、春の1ヶ月くらいで何か作品創って発表してってどうなんだろうと思ったので、春夏秋って長く滞在しようって思ったんですよね。それで、やっていくうちに理解者が増えていったり、出来ることが増えていったので、もっと続けたらどうなるのかって思うようになりましたね。

 

えもと 最初は、瀬戸芸のお客さんってことは、外からのお客さんの方が多かったのかな。

 

しば  そうですね。

 

えもと そこからだんだんと、地元の人が見に来るっていう、その時の動きというのは覚えてます?

 

しば  覚えてます。僕が1番最初にやったのは、岸井大輔さんの『ポタライブ』という散歩しながら見る演劇のワークショップを東京で受けたことがあったので、それを使って、港を散歩する劇を作ったんです。だから、最初のお客さんは、瀬戸芸に来た外国の方たちだったんですけど、それを秋にもやって、最後の回は、地元のお客さんだけになったんです。

 

えもと へ〜、その年の最後のってこと?

 

しば  はい。春は春で、ほぼ2〜3週間くらいやって、秋も2週間くらいやって、ちょっとずつ地元の人が見に来るようになって、秋の最後の回は、全員地元の人になりました。町長とかもいらして。

 

えもと へ〜

 

しば  あと、これはあんまり言ってないんですけど、僕の中で衝撃的というか、1番印象的に残ってることがあるんです。もう認知症なのかどうか分からないおばあちゃんが、廃墟みたいなゴミ屋敷みたいな家にひとりで住んでいて。その家の前でおばあちゃんずーっとボーとしていて、コミュニケーションがあまり取れない人で。で、その家の横を散歩のルートで使っていたんですよ。だから、会釈したり挨拶だけはしてたんです。そうしたら、そのおばあちゃんが秋の会期に、ついて来たんですよ!散歩演劇に。1時間、山道も登るような割としんどいルートなんですけど、黙ってずっとついて来て、見たんですよ、僕の劇を。1年やってると、そうやってこっちがやってることに興味を持ってついて来てくれるってことがあるんだなと、続けるということは面白いことだなって思いましたね。

 

えもと へー面白いねぇ。そのおばあちゃんが動こうって思ったのは、何なんだろうね?興味なのかな?

 

しば  興味なのかな・・でも、何をやってるかが伝わってたんだなと思って。散歩して、1時間、僕がしゃべりながら人を引き連れて歩くっていう事が何なのかって伝わってたんだなというのは、凄い面白かったですね。

 

えもと 今は、見に来てくれる人は、ほぼ地元の人なの?

 

しば  半々・・この間の『わが星』は地元の人が半分くらいはいたと思うんですけど。

 

えもと もともとは、地元の人に向けてやろうってことは無かったの?

 

しば  でも、もとはそれがしたいなというか・・。そもそも瀬戸芸のお客さんがどれくらい来るか分からなかったので、最初の頃は。地元の人が見るものじゃないとなぁとは思っていました。いきなり行った僕らが、例えば『わが星』やりますって言っても来ないだろうなって思ったから。散歩したり、外でやるってことを何回かやって、去年やっと高校の体育館を使わせて貰って劇場にしたら、みんな見に来てくれて良かったなって。

 

えもと なんか、幼稚園使ってもやってたよね?

 

しば  そうです。元々そこを劇場にして欲しいという依頼だったんです。

 

えもと そうなんだぁ!

 

しば  最初の年の夏は、そこを劇場にしてやりました。遊児老館(ゆうじろうかん)は行ったんですか?

 

えもと うん。なんかね、良い建物あるなって思って入ったらね、ここは柴くんがやってるところですよって言われたの。あと、三重にさ、スクエアって場所あるよね?あの場所もいいなぁって思ったら、あそこもね、柴くんがもうやってますよって言われた。

 

しば (笑)

 

えもと それで、私は柴くんに対しての興味が、より出て来たっていう感じ。選ぶ場所というかさ。

 

しば  江本さん、今年渋谷かどこかで、やりましたよね?

 

えもと やったやった『二月のできごと』ね。

 

しば  面白い場所見つけたからやりますって江本さんが言ってるのを見て、面白い事言う人だなって思ったんです。

 

えもと なんかね、東京で演劇作るということが、そもそも誰かに頼まれてやってたことではないし。自分で、劇団で何かやるっていってもお金がない。誰にも求められてないのに、作るってなんなんだろうって。それで、作品を作るときは、仕事で依頼されるか、助成金を取るか、何かしらに認められた上ではないと、もう作らない!ってことまで思って(笑)。そんな中で、場所っていうのは、自分で選んで、創作の意欲がね、湧いたの。それまでの、しがらみみたいなものからも離れて。

 

しば  動機になったんですね、場所が。

 

えもと そうそう。だから、今は良いところがあったらやろうと。

 

しば  へ〜

えもと 東京で作るのと、小豆島で作るのって変わるの?そういう変化についても聞きたいんだけど。

 

しば  実は、小豆島で劇場型の演劇作品を1から作ってやるということは、無いは無いので、さっき言ったような散歩にしてみたりとか、音楽の演奏を入れたりとか、形を変えちゃうので、全く一緒かって言ったらそうでもないんですけど。自分で変えてるつもりは無いは無いですけどね。

 

えもと 今考えてしまうのはさ、そこで作るからには、そこに住んでる人たちが嫌なものは作りたくないじゃない?

 

しば  わかります。わかります。

 

えもと かと言って、そこの皆さんに対してわかるものをつくるっていうのもまたなんか違って。そのバランスの取り方というか・・まだ悩んでるの。そういう葛藤ってなかった?

 

しば  最近、演劇だけに関わらず、地域アートって言われているもの全体に、批判というか、端的に言うとぬるいんじゃないのかとか、そういうふうに地元と一緒になってしまえばなってしまうほど、批評的な作品が作れなくなっちゃうんじゃないのみたいなのはありますよね。確かに、そうかもしれないって悩んだ時期もあったと思います。でも僕は、島だからとか東京だからとか、あんまり関係なく気を使ってる感じは常にあるから、あんまり関係ないんでしょうね。(笑)

 

えもと (笑)気を使わない場所はあるの?

 

しば  それは、無いかもしれないですね。

 

えもと そうなんだね〜。でもそれ以前に、普遍性だよね。柴くんの持つ作品力というか、きっとそれはどこに行ってもっていうか。私、今やそんなに派手な事ってやってないんだけど、一時期やっぱり毛皮族っていうと、ヌードになるとかそういう印象を持たれてしまって、すごく弊害を感じた。それは誰にでも受け入れられる表現じゃないということ。自分は、東京以外の場所とか色んな場所でやっていきたいと思ってるのに、この表現である必要あるかな?ってすごく考えた。

 

しば  僕自身は田舎者なので、田舎の事をずっと気にしちゃうということはあると思います。世界の演劇の一線は、田舎無視みたいな感じがありますよね。都市から都市へ作品を回してお互い見合って。ハイカルチャーじゃないけど、分かってますっていう人たちがみんなで評価し合うみたいな。

 

えもと それダメだよね。

 

しば  ダメなのかどうかは、ちょっとわからないですけど。

 

えもと それで成立するものはあるけど、私はちょっと違和感があるわけ。

 

しば  違和感があるんですね。

 

えもと 消費されるものっていう感じがしちゃう。どっちかって言うと、商品みたいな感じ。それはそれで成立するなら良いんだけど。ハイカルチャーじゃなくて、もう少し生活に近いものにしたいなというのは、ずっとずーっとある。

 

しば  なんか、“演劇をつくるのに腰が重くなってきた”って。それで佐久間さんに声かけてもらってやろうと思ったって。

 

えもと そうそうそうそう。私いろいろ考えすぎちゃってさ。色んなことを。

 

しば  集団というか、毛皮族の劇団自体は、今?

 

えもと 今はね、休止してる。自分の作り方が変化しちゃったから。関係ないけどさ、私一時期ベジタリアンだったりして、

 

しば  えっ!

 

えもと その時は、毛皮なんてとんでもないというか、

 

しば  あははははは

 

えもと わかる?何で私こんな名前付けてるんだろうって。(笑)

 

しば  そこまで。ネーミング自体もう・・。(笑)

 

えもと 動物愛護っていうことでもないんだけど。でも、革製品は持たなくなった。

 

しば  え!!

 

えもと それくらい、自分で用意した場所っていうところにフィットしなくなっちゃったわけだから。でも、自分の知られてる名前というか、くっ付けて来た名前は、毛皮族で。さっき柴くんも言ってたけど、派手なもの作ってるんでしょみたいな、イメージで敬遠され続けちゃうことに対して苦しんだし。自分が作る世界のことを戦略的に伝えていくってことってすごく難しいんだなぁって今は思うけど、わたしは随分それを雑にやってきちゃった。だから最近は焦ってガツガツ作品つくらないで、ちゃんと勉強したいなと思ってるの。40歳ちかくになって遅いけど。

 

しば  いやぁ、わかります。

 

えもと これ、おばちゃんの意見みたいになっちゃうんだけど(笑)、柴くんのインタビュー読んでもさ、やっぱりちゃんとお勉強されてるなって思う。演劇のお勉強を論理的にされてるって。

 

しば  いやいやいやいや

 

えもと はっきり言って私はやってこなかったんだよね。それを、今自分に責め立ててるの。で、今は焦って作品つくらない代わりに、焦って勉強してるの(笑)。

 

しば  なんにせよ、焦っちゃう(笑)。

 

えもと 急いじゃうんだよね。

しば  今回、小豆島になったのはどうしてなんですか?

 

えもと いろんな場所でやりたいなと思って、いろんなところ視察に行ってるんだけど、その中で瀬戸内も回ってて、それが3年前かな。そのときも、佐久間さんを連れて。

 

しば  江本さんが言い出したんですか?小豆島は。

 

えもと 東京でシアターイワトという劇場のプロデューサーだった平野公子さんが、3年前に小豆島に移住されて、小豆島でも演劇やってみたらって言ってくれたの。それで機会をずっと伺ってたんだけど、今の自分の作品づくりのやり方だったら出来るかもって思って、今年の4月に改めて、佐久間さんと小豆島に視察にいったの。

 

しば  へー

 

えもと 3年前はね、土庄から坂手までしか行ってなかったんだ。でも町の人の話を聞いてたら、福田とか大部を開拓したくなって、車でそこまで足を伸ばしたの。しつこくしぶとく探して見つけたのが、大部だったの。

 

しば  僕、大部港って、存在自体知らなかったです。正直・・。

 

えもと 行ってみて行ってみて!

 

しば  こんなところに港がもう一個あるなんて知らなかったです。

 

えもと 私もね、最初は福田までにするところだった。でも、なんか行ってみたの!だから、冒険はするもんだなって。大部で今年から展示されてる瀬戸芸の展示作品も面白くてね。夏会期からは、もう1つ作品が増えるみたいだよ。

 

しば  そうなんですね。

 

えもと 私ってトタンがものすごい好きなのよ。

 

しば  質感みたいな?

 

えもと そう、質感もそうだし、ビンテージっていうか、椅子でもベンチでも錆び錆びなものが大好きなの。それで、大部を散歩してる時に、50mくらい先に良いトタンが見えたの。トタンセンサーがビビビッて。で、ほっそい道を突き進んで行ったら、今までで1番素晴らしいトタンを見たっていう感じ。

 

しば  えー!この造船所の?

 

えもと 造船所の!トタンだけじゃないよ!?この場所の素晴らしさは。でも、ここのトタンは、日本一だと思う!(笑)

 

しば  じゃあ、ここだ!ってなったんですね。

 

えもと そう!

 

しば  現地で作るんですか?

 

えもと そう一ヶ月滞在して。・・・あの、自作品との向き合い方についてちょっと聞きたいんだけど。2009年に『わが星』という作品が生まれて。それは柴くんがそれまでやってきたこと全てをよい形で結集させたものだとして。そこから、次の作品を作る際の、アップデートのさせ方とか、どう考えてきたのかなと思って。

 

しば  一時期は、『わが星』の次みたいなのを考えてたりしてたんですけど。最近は、諦めましたね。ただ、演出に関しては、アップデートじゃないですけど、周りでどんどん新しいことをやってる人の影響も受けるし、でも、それを見て、それで作るのもなというのもあるので。また何年か後に、『わが星』みたいな代表作というか、沢山お客さん来てくれるものが出来れば良いなって思うのと。僕個人としては、戯曲を書くっていうことをもうちょっとだけ集中的に、考えてみることで、何か違う方向性に伸びないかなっていうふうには、ここ2〜3年考えてます。

 

えもと へー。

 

しば  僕もその、演出でバシバシ作品つくっていって、ちょっとづつ表現が研ぎすまされていくというのは、消耗がきつすぎて出来なかったので、戯曲に注目するとか、集中するという方で、今はちょっと落ち着いた生活を。あんまり作品を連発するっていう方向にしないようにしようかなと思っています。あの、江本さんは戯曲を1日で書くとか。あれは今もそうですか?

 

えもと 本にもよるけど、今も1日で、ばあぁっと書いたりする。

 

しば  本当ですか!

 

えもと それもさー、私子供っていうか、バカなの。ちゃんと考えないで、まず書いて、書きながら整理しちゃったりとか。そういうのって良くないんだよ、多分。

 

しば  そんなこともないと思いますけど。書けるなら。

 

えもと いや、でもね、これはね、ちゃんと計算して構造が作られてる作品には、全く叶わないっていうことは、身を以って知ってるから。

 

しば  そうなんですか。

 

えもと あのね、あほだからね。そういう頭はあるくせに、例えば一週間時間与えられて、一週間あれば、その構築が出来るはずなのに、結局最後の1日しかやらないから、構築してる場合じゃないってなって(笑)。いっつも同じ方法になっちゃう。でもそれは改めようとずっと思ってる。

 

しば  へー。

 

えもと 他のね、クリエーターさんとか演出家さんとか作家さんの話を聞けば聞くほど、私は本当に、戯曲なんて読んでないし、戯曲の勉強なんて全くしてないし。そういうことに対してのコンプレックスもあって。40歳手前にしてさ、また焦って色んな戯曲を読んだりしてるの。これも今更聞くバカな質問だけどさ、どんなふうに勉強してるの?ハリウッドのメソッドを勉強したっていうのを前にインタビューで読んだよ、あと三谷幸喜さん。

 

しば  メソッドを勉強したっていうか、田舎だったから、それくらいしか教則本がなかっただけですけど。でも、知っちゃうと縛られますよ。つまり、ルール違反してるってことが分かる訳ですよ。自分として。

 

えもと うんうん。書いてる時にね。

 

しば  ハリウッドの脚本の本で未だに覚えてるのが、最初の10ページで、何が起こるか全部分かるようにしなきゃいけないって書いてあるんですよ。で、それを破っても良いわけじゃないですか、10ページになっても何なのか全然分かんないっていう劇もありじゃないですか。でも、書きながらそのセオリーを破ってるってことを自分で自覚出来ちゃうので、大丈夫かなって思い始めちゃうという、痛し痒しなところはあるなってことは凄くありますね。僕はどちらかと言うと型を知りたがる方なので、どうしてもそうやって、やってしまってますけど。

 

えもと でも、知った上で、それを整理して表現出来るのは凄いなと思う。私も、型とか知るの凄い好きなんだけど、じゃあそれを自分の表現に活かせるかって言ったら活かせないの。その型のテンプレートが自分の頭の中にやってこない。

 

しば  あの僕、逆に質問したいんですけど、2005年のユリイカでしゃべっていた方々(江本さんの他に、土屋亮一さん、三浦大輔さん、本谷有希子さん)の、劇団とか集団とかって今はみんなバラバラになってるというか、解散したり、休止したり。そんなこと言ったら野田秀樹さんだって、夢の遊眠社が解散して今の野田地図がある。ちょっと上の先輩の人たちは集団とか劇団とか、休止したり解散したり、また集ったりすることをどう思われてるのかなっていうことを聞きたい。

 

えもと 私はね、劇団をこのままやり続けて、“役者たちが舞台に立って汗かいてるだけで良い”みたいなことにはなりたくないって思ったの。この劇団がいつまでも変わらずがむしゃらに奮闘してる姿に、観客が感動する、心動くみたいな。

 

しば  でもそれは、まっとうな劇団へのファンじゃないですか?

 

えもと そうなんだけど。そうなったら辛いぞって思ったの。自分達は頑張ってる姿を見せたい訳じゃないっていう。

 

しば  なるほど。

 

えもと それってさ、作品への評価でもなんでもない・・まぁ、続いてるっていう集団そのものが「作品」そのものとも言えるし、集団で作品を発表する力っていうのも凄いと思う。でも私は、ひとつの表現スタイルに対して、観客の方が執着してしまったり、そのスタイルを求め続けられてしまうことに違和感があるかな。だから私は旅をして、いろんなところで、その都度、作品を発表していくスタイルが良いなって。私には集団はフィットしなかったっていうのが大きい。

 

しば  へー

 

えもと だってさ、あんまり仲良く出来ないんだもん。そもそも。みんな集団でやってる人って・・ままごともみんな仲良いでしょ?

 

しば  全然仲良くないですよ。

 

えもと そこの人間関係がちゃんと出来るっていうのがまず大前提だと思うから。私、そもそも大学でも1人も友達出来なかったのに、劇団やって無理矢理一緒に居るということに、ある時ハッと気づいたの。私、今すごい無理してるって。10年くらい経って気づいたんだよね(笑)。仲良く出来るというのは、それは対話が出来るとか一緒に付き合っていくってことも1つの人間性であり、作る力であるから、そういうのを持てるっていうのは、凄いなと思う。ままごとは、仲良くないの?

 

しば  ある種、ままごとは諦めてるというか、劇団員だけで劇場作品つくるっていうことは無いですからね。高校生呼んで作るとか、そんなんばっかですし。あんまり干渉しないというか、各々が別の仕事をやるようにする感じです。

 

えもと 集団でやってて、ネガティブなことってあったりする?

 

しば  あります。そもそも、僕が人間に興味ないっていうか。だから、出来るだけ楽なように、あんまり干渉しないとか、お互いの仕事にあまり口を出さなかったり、でもやる時は集まってやるっていう。ドライな感じにしたくて。いわゆる劇団とは違うと思います。たまたま色んな仕事をしている人達が、いっとき名前を一緒にしてるだけ、みたいな。劇団でどうするかって話合いもしますけど、集団でどんどん作品つくってどうこうしようというのは考えてないので。この体制、だったらまだもうちょっと続けられるかもしれないですけど、劇団でずっと続けてる人達と比べると、全然その成果が違うっていうか、この形で続けてもそれはそれでどうなんだろうていう感じもあります。やっぱりある程度固定したメンバーで公演をずっとやらないと強いものが出来ないのかなって思ったりもして、最近、苦しいなって思うし、自分の周りの同世代の劇団とか集団とかをみても苦しそうだなって思ったりしますね。

 

えもと あーそうなんだねぇ。

しば  場所からっていうので、小豆島に惹かれたというのは嬉しいですね。

 

えもと でも、ここが良いって場所があっても、そこでやるための機動力がないと、実現するまではやっぱり大変だよね。小豆島でやる時は、東京で普段やってたやり方というのを疑えるから面白いね。今回私たち、お金あまりかけないでやるんだよ。お金ないから、お金でっていう発想がなくなるわけ。さて、どうしようっていう。何かが欲しいねってなったら、その何かは、探すっていう。買わない。それは、そっちの方が面白い。

 

さくま(いきなり参加) この間の『二月のできごと』も6人で始めて、応援が必要になったら声をかけようというやり方でした。6人で頑張ればなんとか出来るんだなと思いました。自分たちで受付して、何でもやって。だから今回も、2人から始めて必要になった時に人に声をかけるという。

 

しば  あーいいですね。

 

えもと 今は演劇をつくる中で、商業ベースのシステムにも頼らなくてはいけないから、そういうのも1つ1つ疑問を持ってやっていきながら、新たなやり方を作ろうと思ってる。

 

しば  僕らも小豆島行った時は、それはかなりありましたね。俳優だから受付しませんとか、僕も、作・演出だから出ませんとか言い出すと、人が1人分、損じゃないですか。作・演出とか関係なく、人間が1人居るんだからお前も出れば、出演者の頭数として増えるのに、何お前出ないとか言ってんのみたいになるので、やれることはやる。それは凄い良かったなって思ってます。劇団にとって。

 

えもと 私も、役割ボーダレスっていうのはあって。演出家って名乗りたくないなって思って。人!人!作家でもない俳優でもないっていう。そうやっていけたら良いなって。

 

しば  そうするしかないですもんね、島だったら。例えば、舞台監督を呼んで、その人は舞台監督しかやってくれないのに、でも1人分の宿泊とご飯代は全部かかる訳だから。それだったら何でもするっていう人を呼んだ方が、色んなこと出来る可能性があるっていうのは、特に島は良かったですね。陸だと何となく地続きでヘルプが出来そうだけど、わざわざ船で呼ばなきゃいけないっていう感じが、手持ちで、この島にあるものでやるしかない感じが追い込まれてる感があってそれは、小豆島に来た初年度、キツかったけど楽しかったなって思って。

 

えもと 今年の夏は?いつから小豆島へ?

 

しば  8月12日からです。僕が行くのは。

 

えもと あそうなんだ。

 

しば  そうなんですよ。11日まで別の仕事してて。

 

えもと じゃあ、また見る機会を逃すね。(笑)

 

しば  見たかったですけど(笑)。すみませんー。

 

えもと こうなったら、絶対呼ぼう!いつかどこかで(笑)。このプロジェクトで、まずは見に来てもらえたら嬉しいなぁ。柴くん、その次の作品の予定は?

 

しば  ここの(多摩美術大学)スタジオで、学生たちとやるのが来年1月に。それは、新作をやります。

 

えもと へ〜〜。学生たちがいっぱい出るの、面白いね〜。

 

しば  あと、来年の夏に高校生オーディションして。それは3年前にやったやつを再演します。

 

えもと 来年1月は新作なんだね!

 

しば  はい。それは、授業の時間を使って稽古をするので、4ヶ月くらいかけて稽古が出来るんですけど、なかなか出来ないことだから、そういうことで勉強しつつ、自分でもいろいろやって、東京でまた新作やったりしたいなってちょっとずつ思ってますね。しばらく東京ではあえて休んでたので、

 

えもと 柴くんに流れている時間は、やっぱり、ゆたかだね〜。いろいろ、長くなっちゃった。今日は、ありがとう〜。

 

しば  いやいや、楽しかったですぅ。

 

おわり

* 編集後記 さくまより *

というわけで、編集初心者さくまによるスペシャルなロング対談、以上になります。

第1回は、公園でのゆるゆるピクニック対談。

第2回は、美術大学の中庭をお借りしてのアーチスト対談。

四者四様でお届けいたしましたつもりでございますです。

柴さんと江本さんの対談中は、編集長という立場を忘れて、おふたりのお話を特等席で楽しんでしまいました。

今までしっかりと交わることのなかったおふたりを、小豆島がカチッと繋げたのだなぁと、ひとりホッコリしました。

ここでしか聞けないお話、だったんじゃないかなぁと思います。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

ではでは、8月に小豆島で、お会いしましょう〜〜〜!

柴さんは坂手港にて、江本とさくまは大部港にて待っています!!!

福原さんも、来てくれたらいいなぁぁぁぁ。

柴 幸男

Yukio Shiba

劇作家、演出家、ままごと主宰。

青年団演出部、急な坂スタジオレジデント・アーティスト。多摩美術大学専任講師、四国学院大学非常勤講師。

東京の劇場から北九州の船上まで、新劇から学芸会まで、場所や形態を問わない演劇活動を行う。

2009年に劇団「ままごと」旗揚げ、2010年『わが星』で第54回岸田國士戯曲賞を受賞。2015年に再々演された同作は東京・小豆島で約9000名を動員。

近年は小豆島や横浜に長期滞在し地域に根ざした演劇を継続的に上演している。

2014年より『戯曲公開プロジェクト』を開始、戯曲を無料公開し多くの上演機会を設けている。

photo by Michiko Akagi

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